水戸・偕楽園 | |||
2017年 3月6日 | |||
朝、ホテルを出て桜川河畔に出て、千波湖に向かう。 |
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桜川には珍しい黒鳥がいた。 |
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千波湖の縁に出た。 |
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文化センターを左に見て、千波湖畔を偕楽園に向かう。 |
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どういうわけかD51(デゴイチ)が展示されている。 |
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水戸黄門の像 |
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偕楽園の拡張部に入る。 |
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梅林の木は比較的新しい |
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螺旋階段を上りこ線橋を渡って偕楽園の本園に。 |
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大日本史完成の地の石碑 |
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東門から入る。 |
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はいったところは芝生の見晴らし広場 |
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左近の桜が目に入る。 梅の時期なので花はまだない。 |
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仙奕台(せんえきだい)から千波湖を望む。 |
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仙奕台から拡張部の梅林を望む。 |
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好文亭の前にとても大きなドウダンの木がある。 |
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好文亭への入り口では「水戸の梅大使」がお迎え |
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好文亭 |
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待合 斉昭が書いた「功詐不如拙誠」の書がかかっている。 |
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好文亭の内部 |
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2階と1階の間には配膳用昇降機が設けられている。 |
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好文亭の二階から見晴らし広場や千波湖、偕楽園の拡張部が望める。
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好文亭を出て、東西梅林の脇を通って吐玉泉を見に行く。 こちらの梅林にはかなり古い梅の木もある。 |
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吐玉泉 |
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そばに樹齢800年と言われる太郎杉がある。 |
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坂を下るとにしもんの近くの庭園に出る。 |
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南門 |
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南崖の洞窟 |
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たくさんきれいな梅の花がある。 |
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花弁が退化した珍しい花もある。 「てっけん」という種類だそうだ。 |
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御成門を出る。 |
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水戸駅に戻る途中、西の谷公園に寄る。 立派なしだれ梅が植えられている。 |
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水戸駅の北口に着く。 北口前の広場には黄門さま助さん格さんの像がある。 |
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駅構内のレストランで昼食を済ませ、弘道館に向かう。 切通しの道を進み橋の下で左の崖をかいだんで登ると弘道館がある。 歩いてきた切通しは水戸城の二の丸と三の丸の間の空堀だったようだ。 弘道館の正門。 この右の方で入館料を払って入るのだが、70歳以上は免除される。 |
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弘道館 玄関。 |
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ここにもたくさん梅がさいている。 |
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サンシュユも満開だ。 |
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弘道館を出て、周辺を歩いてみる。 塀越しにみる梅がみごとだ。 |
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要石。 斉昭の自詠自筆で「行末)も ふみなたがへそ蜻島大和の道ぞ要なりける」と書いてあるらしい。 |
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鹿島神社 |
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八卦堂。 建学の精神の象徴である弘道館記碑が納められているそうだ。 |
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学生警鐘。 斉昭自鋳の鐘 |
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大手門跡に向かう。 行ってみたら大手門の建物はなく、近くには茨城大学教育学部付属小学校があった。 門衛さんが話好きでいろいろと話してくれた。 「大手門は再建計画がある。小学校のところには茨城師範学校があった。」などなど。 |
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水戸城跡の大シイ。 樹齢400年というから戦国時代からあったことになる。 |
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杉山門 |
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水郡線が10ている。 ここは水戸城の本丸と二ノ丸の間の空堀。 |
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棚町坂下門 |
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水戸城の土の崖。 見上げて居たら、通りがかりの人が水戸城にはほとんど石垣がないのは 藩の財政が豊かでなかったからだと教えてくれた。 |
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18時少し前に水戸駅に着いた。 ちょうどからくり時計が動く時間なので最初から最後まで見る。 「兎のダンス」と「あの町この町」のメロディーが流れる。どちらも茨城県出身の野口雨情が作詞している。 |
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18:27発の特急「ひたち」に乗ろうと、窓口に並んだが、試しに自動機でやってみたら案外簡単に指定が取れた。 それを見て大勢の人が窓口の列から自動機の方に移ってきた。 | |||
18:27発の特急「ひたち」に乗り、東京駅で「ひかり」に乗り換えなごやに帰った。 | |||
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