瑞穂の森のホームページです。

2005年1月9日 瑞穂史跡めぐりをしました。
 名古屋市の瑞穂区役所に「瑞穂区史跡散策路」のパンフレットが置いてありました。
 山行きが降水確率が高いので中止になったので、このパンフレットを参考に歩いてみました。

 
地下鉄瑞穂運動場西の交差点のところから出発。
最後に元の運動場西の交差点に戻るように、右の地図の赤い線とは違うみちを通って歩きました。
今回歩いた道順は下記のとおりで、史跡を探しさがし歩くのは結構面白かったです。
運動場西→H→G→F→I→瑞穂生涯学習センター→@→A→B→C→D→J→K→運動場西

 


(上の画像をクリックすると拡大します。)

   

H大喜寺

境内に地蔵坐像石仏が安置されている。
もと鎌倉街道沿いの寺山地蔵塚にあったと伝えられ扁平な花崗岩の中央に地蔵菩薩の坐像を彫り、光背を彫りくぼめてある。
鎌倉時代の石仏としては市内唯一だそうだ。

秋葉社


社の大きさに比べ、角にある「秋葉社」の石の標識が目立ちます。

 

G田光八幡社

境内には大きな楠の木があります。

 

本殿の西側のお稲荷さんの赤い鳥居が
やたらと目立ちます。

田光八幡の境内にある和合の木。
異質の2本の木が
交わり合っている。
夫婦円満、子授け
浮気封じに霊験があるそうです。

 


黒龍さまの御神木
眼病、腰痛などに効くと古文書にあるそうです。

       

F秋月院

 
慶長3年(1598)熱田の地に総建され昭和13年現在の知に移転されたお寺です。


 

I白竜神社

細い路地の奥に白竜神社は有る。
 

地蔵寺


入口はおよそお寺らしくないが、中に入るとたくさんのお地蔵様が並んでいる。

 

  

瑞穂生涯学習センタ
 

 トイレを借りに寄った。

@浜神明社

 


 月待供養碑(市内最古のもの)

A東ノ宮神社

 


明治天皇覧穫之所の碑

旧東海道

   
       

秋葉・
金毘羅社


山崎川(左側)と道路(右側】に挟まれた
狭いところに秋葉さんと金毘羅さんの社
が並んでいる。

井戸田やくし 道標


左側の小さい方に「井戸田やくし」とある。

 


街中では殆んど見かけなくなった柏の木。

B藤原師長謫居跡

案内板の内容は下記のとおり

太政大臣藤原師長は平清盛の勘気を被り治承3年(1179)11月井戸田村へ流されて来た。
花の朝な夕べ琵琶を弾じて京をしのんだ後に出家して妙音院と号したがこれが今の妙音通の地名の起こりである。身辺の世話をした村長横江の娘と契り師長が帰洛を許されるとき土器野里(枇杷島)まで送ってきた娘が形見として片貝の琵琶白菊をあたえた。娘は悲しみのあまりその形見を抱いて側なる池に身を投じたという。
「四つの緒のしらべもたえて三瀬川
  泡みはてぬと君につたえよ」

C竜泉寺
 


源頼朝の誕生の地との説があり、表門脇の亀井水は頼朝の産湯の井と伝えられている。

  

 

 

右は竜泉寺の入口のところにある
歯痛地蔵尊

太平洋戦争中の昭和20年5月
17日B29の爆撃により、旧本堂
と共に被爆、お顔の半分を失い、
お体も真っ二つに割れた。
と脇の表札に書いてあった。


 歯痛地蔵尊

D長福寺

奈良時代の創建と言われているそうですが、現在のものは最近建て替えられたものの
ようです。


 

 

E為麿塚 

寄るのを忘れて来ました。

北川天満宮

小ぶりの天満宮だが、
ご利益には変わりないでしょう。
賢くなれると思いますよ。 

J津賀田神社

立派な神社です。

 

参道もかなり長い。

 


本殿も荘重なたたずまいです。

 


 ここにもお稲荷さんがあります。

K天聖寺
  


お寺そのものは特にどうと言うことはないが、境内のクロガネモチの木は一見価値がある。   

 


クロガネモチの巨木
こんな大きなものは見みたことがない。
ここにもお稲荷さんがある。

終点

地下鉄瑞穂運動場西に戻りました。
2時間半、約1万3000歩の散策でした。
この辺りが源頼朝とゆかりがあるなんて私は全く知りませんでした。
歩いてみるものですね。